概要

通例、半年から2年ほどの「仕込み」期間を経た後、1か月間「見習い」としてだらりの帯の半分の長さの「半だらり」の帯を締め、姐さん芸妓と共に茶屋で修行する。置屋の女将、茶屋組合よりの許しが出れば、晴れて舞妓として「見世出し」が可能となる。座敷や舞台に上がるときは芸妓も舞妓も白塗りの厚化粧をするが芸妓が通常鬘を付けるのに対し、舞妓は自髪で日本髪を結い、四季の花などをあしらった華やかで可憐な花簪(長く垂れ下がった簪は一年目のみであり、以後は次第に花が大きくなる。)を挿す。舞妓の初期は「割れしのぶ」という髪型で、2~3年後に「おふく」となり、芸妓への襟替え1~4週間前には「先笄」を結い、お歯黒を付ける(引眉しないので半元服の習慣が現代に残るものと見てよい)。襟足をV字状に白塗りするのは、江戸時代の女性が生え際の髪を抜いて同形状に整形していた名残である。襟替えの時期は20歳前後の場合が多い。

本業は茶屋や、料亭、旅館などにおいての接待であるが、最近はテレビなどのメディアへの露出、養護施設や病院への慰問、海外への派遣の仕事も多い。近年「一見さんお断り」の閉鎖的空間であった花街も、徐々に門戸を開いており、京都市観光協会が観光イベントとして協賛し2009年1月より祇園の料理旅館で 京料理と舞妓の夕べ なども定期的に開催されるようになり、また、「おおきに財団」(京都伝統伎芸振興財団)が、お茶屋でお座敷遊びのイベントを開催することもあり、一般の観光客にも花街文化を体験できる機会が増えている。

あわら市(福井県)の芦原温泉に於いて三年前に38年ぶりの舞妓が誕生。現在、二名の舞妓がいる。ひきずりの着物にだらりの帯、という京都の舞妓と同じ衣装、但し地毛ではなくかつら(場合により地毛で結っている時もある)。

大阪市には戦前には舞妓が居た。京都とは異なり、帯結びが腰元の様な立て矢であるのが特徴(「やぎっちゃ」という結び方)。また髪型も京風の引き鬢ではなく、江戸風の出し鬢であった。衣装等が空襲で焼失し、写真も僅かしか残らず、資金面等の問題もあり、復活は難航したが、2008年5月に若手の芸妓2名により復活に漕ぎ着けた。

ところでiPhoneの普及と京都の舞妓さんにある共通点を見出しているのは私だけだろうか・・。アップルのiPhoneはスティーブ・ジョブズによって生み出されたものだが、今の世の中の問題点に通づるものも多いと思う。舞妓さんのお仕事も、今は人数も少なくなりとても大変だと聞いている。そんな中でiPhoneを駆使していろいろ頑張っているようだ。


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